片貝 まつりのご紹介


作成者 かずひろ
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片貝まつり 片貝まつりとは 三尺玉へ 四尺玉へ

片貝花火に関する年表     片貝町はここです
片貝人の昇天銀竜さんの情報ご提供(片貝の花火に関する講演会)で修正しました

1751〜1763
    宝暦年間
諸文献より推測される片貝花火の創始期
(打ち上げ花火ではなく、縄火・車火・草花なる花火であった)
1802 7月16日
     享和 2
楯観音再建 七月二十二日、盛大に花火上がる
1806 文化 3 二寸玉・三寸玉の打ち上げ花火が伝授される
1814 文化11 楯観音御開帳(二十日間)七月二十四日花火打ち上げ 七寸五十本
1839 天保10 一王子権現(現浅原神社)祭礼、九月九日花火打ち上げ
1844 天保15 浅原神社となる(神社号をいただく)
1858 安政 5 社殿改装 遷宮式後 十月七日大花火奉納
1867 慶応 3 六月二十六日から三日間 楯観音に於いて大花火を打ち上げた
和紙四枚に木版刷りの花火番付 現存せり
百八十六発全て打ち上げ 番付の終わりに「右之外入組玉ヲ分御座共紙数余り相嵩き候に付略す」とある
1873 明治 6 浅原神社 村社となる
1876 明治 9 古領・新領の合併、片貝村となる
1877 明治10 「新潟新聞」に片貝花火の記事あり、この年四、五、七寸 計百六十九発打ち上げる
1878 明治11 二尺玉を打ち上げた
1880 明治13 片貝村消防組織を設立 一・二・三・四・五の各部に区分される
「長岡市史」に「片貝の佐藤家某薬、長原遊郭の賃貸寺の祭りに花火を打ち上げた」とある
1881 明治14 「新潟新聞」記事 片貝で、四、五、七寸、尺六寸 計二百八十六発 打ち上げ
1886 明治19 二尺五寸玉 三発打ち上げ
1889 明治22 三島郡片貝村(片貝・山屋)町村合併
1891 明治24 三尺玉 四発打ち上げ(世界最初であろうと思われる)
三遊亭円朝の伝記の中に、「越後に旅行中、噂を聞いて片貝までこの三尺玉を見に来た」事が書かれている
四発のうち二発は、スワレとなったので、翌年に再打ち上げた
1919 大正 8 煙火製造中 火薬が爆発し二人死亡
1929 昭和 4 正二尺玉 五発 打ち上げる
1937 昭和12 日支事変(日中戦争)勃発のため 賑わいを中止、社務の煙火のみ打ち上げ
1941 昭和16 太平洋戦争のため、花火が全面禁止となる
1946 昭和21 まつりの賑い復活、花火打ち上げ、玉送り、屋台など
 平成11年か12年のお祭りに時にあった年表です。一部情報に誤りがありますが、そのまま掲示します。手書きの年表もいいもんでしょう。
1947 昭和22 筒引き復活
1950 昭和25 成人玉送り始まる【和風会】 年毎に花火大型化が進む
1956 昭和31 片貝町が小千谷市と合併
五十歳記念の奉納煙火始まる【大正九年卒業生】(当初は玉送り無し)
1962 昭和37 四十二歳厄払い奉納煙火始まる【総和会】
1963 昭和38 還暦記念の奉納煙火始まる【卯辰同級会】
1965 昭和40 九月十日大祭当日台風来襲により煙火打ち上げを十一日に延期
1966 昭和41 連合級友会(二十六歳〜三十五歳)始まる、組頭【和進級友会】
1967 昭和42 三十三歳厄払い奉納煙火始まる【伸竹会】(当初は玉送り無し)
1968 昭和43 小学生鼓笛パレード、まつりに初参加
1969 昭和44 成人【となかい】三尺玉打ち上げ(約80年ぶり)
1976 昭和51 二年詣りに除夜の花火、百八発花火 打ち上げ (以後毎年)
1982 昭和57 永遠会、三尺三寸玉打ち上げ成功
1984 昭和59 四尺玉試験玉打ち上げ(7月) 本番の9月10日 の初の打ち上げは失敗
浅原神社祭礼が特異な存在であるとしてサントリー地域文化賞受賞
1985 昭和60 (九月十日)四尺玉打ち上げ成功【朗志会】奉納、ギネス記録
以後、毎年打ち上げ 今日に至る
1993 平成 5 四尺玉打ち上げ成功者、本田善治氏死去される
1997 平成 6 片貝まつり初、三尺玉の二段打ちに成功
1998 平成10 四尺玉、打ち上げるも開かず黒玉となる、九日・十日の両日とも失敗
一発は車道に落ち粉々になったが、もう一発は、畑に落ち原形をとどめていたので、火薬を抜いて、片貝製作所の歴史資料館に保存された
2001 平成13 四尺玉二発、三尺玉十発(三段打ちを含む)の過去最多の大玉の打ち上げ
古式玉送りと木遣りが小千谷市の文化財に指定される

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